今後10年
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この weblog のアクセス数がいつもの10倍になっていて、 なんだなんだと思ったら naoya さんとこで言及されてました。
Remix や Folksonomy という考え方はすばらしいのだけど、 それらを実現する手段としてよりシームレスなものっていうのは一体何なんだろう。 使い手がそれらを意識することなしに、その恩恵を得られるもの。 自分の両親が blog を使いはじめて整えられたアーキテクチャでウェブサイトを構築し、 RSS や Atom でシンジケーションするということはもしかしたらありえるかもしれないけど、 Greasemonkey で Remix して tagging で情報をうまく整理するなんてことはどう考えてもあり得ない。
Remix とか Folksonomy ってそんなに難しい話なんですかね。 tagging だの microformats だの api だのといった言葉や概念は 10年後にないかもしれないけれど、 たとえば自分が撮影した写真を rel="license" で CC ライセンスにして広く共有するとか、 逆に CC ライセンスの写真や演奏を検索してそれを基にした二次配布物を公開とか、 あるいは Web 2.0 ベースのツールで wikipedia を編纂するとか、 10年後(5年後?)に教育テレビで「ホームページ入門」の一環としてやってるんじゃないかなあ。
と、考えると、これらの世界が実現していくためには今とは違った手段が必要になってくるだろうし、 そういった手段が出てこなかった概念はいずれ廃れる、 あるいはいわゆるデジタル・デバイド(なんか死語っぽいけど)の象徴になるのかもしれない、なんて風にも思う。 手段自体がメジャーシーンに拡大しなくても、 API によって開発された成果物を使う人、 Folksonomy で分類された後の結果だけを見てその恩恵を授かるフォロワーがいたりする、 ということもあるので、かならずしも手段のコモディティ化が必須というわけではないのだろうけど。
コンテンツ作成者とフォロワーの間に高速道路が敷かれるんでしょう。 つまり、例えばはてなはフォロワーがすぐにコンテンツ作成者になれる道を現在建設中と捉えることができます。 これまでは geek の専売特許だったコンテンツ作成とか remix といった行為を 普通の人たち(そういう人たちのコンテンツも魅力的)にまで拡大する、 それが世界政府御用達システム製造・運用会社や、例の変な会社のミッションなのでは。
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